人には人生の中で大切な日が存在します。
大切な人が亡くなった日、つまり「命日[めいにち]」が挙[あ]げられるでしょう。
人がこの世から去った日は、その人に対する恩と感謝を有する人にとっては、
忘れ得ぬ日です。
忘れられない日がある限り、そこに忘れられない人が存在するといえます。
故人[こじん]の供養[くよう]として、仏教では祥月[しょうつき]命日を設[もう]けています。
月ごとに故人を偲[しの]ぶ機会が設けられているのです。それはあたかも、
忘れ得ぬ人と互いに語り合う場といってもいいかもしれません。
生前に様々な形で影響を受けた人には、逝去[せいきょ]してなお教えを請[こ]うことができます。
今は亡[な]き方々の姿を自分の目の前に置き、自分自身を
律[りっ]する糧[かて]とすることができるのです。
大切な人の思いに応[こた]える一生を貫[つらぬ]くためにも、
「あの人が今の自分を見たらどう思うだろうか」と自問自答をしていきたいものです。